2024/12/17 更新

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タメ ヨシヒト
多米 淑人
Yoshihito Tame

学位

  • 修士(工学)   課程 ( 2005年3月   福井工業大学 )

  • 博士(工学)   課程 ( 2010年3月   福井工業大学 )

研究キーワード

  • 城郭

  • 集落活性化 

  • 民家

  • 社寺

  • 日本建築史

研究分野

  • 社会基盤(土木・建築・防災) / 建築史、意匠

学歴

  • 福井工業大学   工学部   建設工学科建築学専攻   卒業

    - 2003年3月

  • 福井工業大学   工学研究科   建設工学専攻   博士課程   修了

    - 2005年3月

  • 福井工業大学   工学研究科   応用理化学専攻   博士課程   単位取得満期退学

    - 2008年3月

経歴

  • 福井工業大学   建築学科   講師

    2010年4月 - 2012年3月

  • 福井工業大学   大学院工学研究科社会システム学専攻博士前期課程   講師

    2012年4月 - 2014年3月

  • 福井工業大学   建築生活環境学科   准教授

    2014年4月 - 2015年3月

  • 福井工業大学   大学院工学研究科社会システム学専攻博士前期課程   准教授

    2014年4月 - 現在

  • 福井工業大学   工学部 建築土木工学科   教授

    2017年4月 - 現在

所属学協会

  • 日本建築学会

  • 北陸都市史学会

  • 文化財建造物保存修理研究会

    2015年2月 - 現在

 

論文

  • 旧松岡藩家老松原郷左衛門と屋敷地 松岡藩士とその屋敷地の研究 松岡藩士とその屋敷地の研究その10

    伊豆蔵庫喜,多米淑人,吉田純一

    福井工業大学研究紀要   ( 54 )   141 - 147   2024年10月

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    本稿は既報に続き、旧松岡藩士の松原郷左衛門家とその屋敷地について考察した結果、松原郷左衛門家は10代にわたり松岡藩と福井藩に仕えた家であったこと、松岡時代は最上級家格の番外に含まれ、2代典惣右衛門と3代五郎三郎が家老を務め、福井時代は3代以降、次席の寄合席を継承していたこと、5代式膳が寛保3年に蟄居させられたが名家であったために養子の恒岡彦次郎が6代を継いだこと、松岡城下の屋敷地は「御屋舗」の西側に大きめの屋敷地(1096坪)を拝領していたこと、福井城下移住後は、上級武士の居住区である柳門通りや中ノ馬場などに約900坪の屋敷地を拝領していたことなどが指摘できる。また、その屋敷地の大きさは、上級武士の坪数の基準に基づいて屋敷割されていたと判断できる。

  • 永禄4年三好邸御成における殿舎について(その1):殿舎構成と改修内容 査読

    熊谷透,多米淑人

    日本建築学会計画系論文集   89 ( 823 )   1701 - 1712   2024年9月

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    本研究では、三好邸御成で行われた建物改修の意図が、室町幕府体制下で重視されていた建築的な家格の表現であったこと考察した結果、以下のことが明らかになった。1)改修では、特にファサードに装飾性の高い意匠が加えられた。2)三好邸改修の目的は、三好邸を被官クラスの邸宅から大名クラスの邸宅への格上を意図していた。3)このファサードの意匠は、室町幕府政権下の京都の武家住宅において、重視された建築的な家格表現であった。

  • 中近世以降期にみる住宅屋根の格式-慶長年間の高野山と醍醐寺の事例から-

    熊谷透,多米淑人

    2024年度大会(関東)日本建築学会大会学術講演梗概集   53 - 54   2024年9月

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    本稿は永井氏がその指摘の根拠として挙げた中近世移行期の2つの事例から、破風をはじめとする屋根形式の詳細を検討し、中近世移行期における屋根格式の序列について考察した結果、「破風」とは、妻面全体ではなく破風板などの一部分を指す傾向がある。屋形造、入母屋屋根、切妻屋根の3段階の序列になっていたと考えられる当時の住宅建築の屋根格式は、破風板や狐格子などの装飾部材および角木の着脱によって、その格式に優劣をつけていたことが指摘できる。

  • 春日口における屋敷地について -福井城下の町口における屋敷地の研究 その8-

    伊豆蔵庫喜,多米淑人,吉田純一

    2024年度大会(関東)日本建築学会大会学術講演梗概集   549 - 550   2024年9月

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    本研究は城下図や史料をもとに、福井城下から領内各地に通じる街道の出入り口にあたる13の町口付近に配されていた武家屋敷地や与力および足軽などの組屋敷について検討するもので、本稿は城下南東端に位置する春日口の屋敷地について検討する。その結果、街道沿いにある春日町、鍛冶町と辻町の3町は江戸初期から幕末まで町人町であったこと、北寄りの組町と観音町には少数であるが、与力や足軽などの組屋敷や上級武士の下屋敷が配されていたこと、既報の町口に比べ、春日口は寺院の大規模な移転や極端な組屋敷の増減が少なかったことなどが指摘できる。

  • 近世指図の作図技法・描法の展開に関する研究 その5 『叡山文庫』所蔵の根本中堂廻廊建地割図と大講堂建地割図の縮尺について

    多米淑人,吉田純一,伊東龍一,斎藤英俊

    2024年度大会(関東)日本建築学会大会学術講演梗概集   29 - 30   2024年9月

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    本研究は、近世の指図や建地割図の作図技法・描法を解明するもので、本稿は『叡山文庫』所蔵が所蔵する根本中堂廻廊と大講堂の建地割図の寸法を計測し、その縮尺について考察するものである。その結果、根本中堂廻廊と大講堂の建地割図は、基本的に内題の1/20の縮尺で描いていると判断できる。これは、既報の内題に1/20とあるものの実際には、柱間寸法が1/20の約80%であった根本中堂の建地割図とは異なった結果といえる。

  • 御馬上覧の庭儀からみた朝倉館広庭の境界

    熊谷透,多米淑人

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 67 )   330 - 333   2024年7月

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    本稿は、朝倉館の屋敷地内を区画する塀の位置比定を目的として、御馬上覧の庭儀の検討を行うもので、まずは、御馬上覧の定型と実例について確認し、そのうえで、朝倉館の広庭の物理的な区画位置を明らかにする。その結果、御馬上覧が行われた朝倉館の屋敷地内を区画する屏中門の位置については、寝殿南に伸びる塀のほか、遠侍南端から西に伸びて表の空間を北と南(広場)に2等分する位置に設けられていた可能性が高い。

  • 松岡藩 城代 雨森傳左衛門家とその屋敷地 -松岡藩士とその屋敷地の研究 その9-

    伊豆蔵庫喜,多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 67 )   334 - 337   2024年7月

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    本研究は正保2年(1645)から享保6年(1721)の間、福井藩の支藩であった松岡藩の藩士とその屋敷地に着目し、松岡城下における屋敷割や個々の屋敷地の位置および大きさについて検討するとともに、享保6年の福井藩への併合に伴う松岡藩士の福井城下における拝領地についても明らかにする。中でも本稿は、松岡藩の城代を務めた雨森傳左衛門家とその屋敷地について考察した結果、雨森傳左衛門家についても、福井藩の上級武士の基準をもとに屋敷割されていたことが認められる。

  • 旧松岡藩士磯野多宮家と渋谷権左衛門家の屋敷地 松岡藩士とその屋敷地の研究その8

    伊豆蔵庫喜,多米淑人,吉田純一

    福井工業大学研究紀要   ( 53 )   191 - 199   2023年10月

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    本稿は既報に続き、旧松岡藩士の磯野多宮家と渋谷権左衛門家とその屋敷地について考察する。磯野多宮家と渋谷権左衛門家は、いずれも松岡藩士の最上級である番外に属し、番頭や奏者および寺社奉行などに就ける10家に含まれる。
    両家は松岡城下と福井城下でともに隣接しており、北側に磯野多宮家、南川に渋谷権左衛門家が配される位置関係も同じであること、福井移住後は約140年間、両家ともに屋敷替えすることなく御泉水町に住み続けていること、両家の敷地の大きさや形状はほぼ同じであることなどを明らかにし、この傾向は他の旧松岡藩士の屋敷地では類例がなく、両家の特徴といえる。

  • 学生による竹田木育ガーデンPLAYでの大型遊具制作-FUT実践学演習でのPBL活動報告-

    五十嵐啓,多米淑人

    福井工業大学研究紀要   ( 53 )   210 - 215   2023年10月

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    本稿は、2022年度前期開講のFUT実践学演習I・IIIにおいて実施した、丸岡町竹田のたけくらべ広場北側の「木育ガーデンPLAY」内に設置される大型遊具のデザイン考案から制作、設置までを行なったプロジェクトの報告である。

  • 近世指図の作図技法・描法の展開に関する研究 その4 『叡山文庫』所蔵の根本中堂地割図の縮尺について

    多米淑人,吉田純一,伊東龍一,斎藤英俊

    2023年度大会(近畿)日本建築学会大会学術講演梗概集   147 - 148   2023年9月

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    本研究は、近世の指図や建地割図の作図技法・描法を解明するもので、本稿は『叡山文庫』所蔵の根本中堂地割図(立断面図)の縮尺について明らかにするものである。『叡山文庫』所蔵の根本中堂の地割図6 図は外題や内題の記述から1/20で描いた図面であると考えられていたが、各図面から割り出した各部材寸法の計測値を考察したところ、B、Cグループの外・内地割図の高さは1/20の縮尺で描かれているものの、横方向の柱間は6図いずれも約1/25の縮尺で描かれていることが明らかになった。

  • 大永4 年(1524) における細川典厩邸の屋外空間

    熊谷透,多米淑人

    2023年度大会(近畿)日本建築学会大会学術講演梗概集   181 - 182   2023年9月

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    本稿は、将軍の御成を辻々で警固する「辻固め」の記事を中心に、『御成記』と現況地割から尹賢期の典厩邸の屋外空間について検討する。大永4年における細川典厩邸は、御成の辻固めの状況からも、百々橋南東に位置したことが支持され、屋外空間の状況は、南に京兆邸、東に内藤邸、北に寺町邸が位置すること、屋敷は築地で囲まれ、東を正面として、東の御門、北門、西の裏御門の3つの門を開くこと、北門と同緯度には諏方社を祀ること、東の御門に続く表の空間には、塀中門と奏者所(厩侍)を配し、塀中門の奥に寝殿妻戸(車寄)前の御庭を配すること、そして、初期洛中洛外図屏風の中で、上記の屋外空間の状況と最も合致するのは、上杉本である事が指摘できる。

  • 中島口における屋敷地について -福井城下の町口における屋敷地の研究 その7-

    伊豆蔵庫喜,多米淑人,吉田純一

    2023年度大会(近畿)日本建築学会大会学術講演梗概集   33 - 34   2023年9月

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    本研究は城下図や史料をもとに、福井城下から領内各地に通じる街道の出入り口にあたる13の町口付近に配されていた武家屋敷地、与力および足軽などの組屋敷について検討する。本稿は福井城下の東端に位置する中島について検討した結果、中島口は福井城下から松岡に通じる町口で、街道沿いに外中島町とそれに北接する外中島寺町の2町があったこと、外中島町は江戸初期から幕末まで変わらず、城東地区で唯一の町人町であったこと、外中島寺町は寛文9年の大火後に寺町として成立して以降、慶応まで寺町であったこと、両町とも既報した加賀口、志比口や明里口など他の町口にみられた与力や足軽などの組屋敷や上級武士の下屋敷は、江戸時代を通して一度も配されていないことなどが指摘できる。

  • 一乗谷朝倉館における足利義昭の元服座敷「御沓形ノ御座敷」について

    熊谷透,多米淑人

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 66 )   401 - 404   2023年7月

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    本稿は、朝倉館跡における「御沓形ノ御座敷」について、その位置比定を目的とした3つの検討を行う。最初に、足利将軍家の元服儀礼から座敷の傾向を、続いて、座敷飾りの内容から遡及的に座敷の構成を明らかにし、そして、中世から近世初頭までの「沓形」の用語について検討する。以上の3つの検討作業を踏まえ、最後に「御沓形ノ御座敷」の位置を考察した結果、一乗谷朝倉館における足利義昭の元服座敷の位置は、主殿SB01北東隅であり、下記の条件を備える座敷であったと考えられる。足利将軍邸における寝殿の御鬢所を規範とする部屋で、納戸(寝所)に隣接する。図1 主殿SB01の「御沓形ノ御座敷」の平面復元案(網掛け)押板、違棚、付書院、納戸構を備える。加冠と式三献を行う主座敷部分とは別に、備服や喫茶を行う休所を備える。建物北面居室であり、L字形の平面要素を有する。座敷飾り(押板、違棚、付書院)が、同じ高さでL字形(すなわち沓形)に配される。

  • 勝見口における屋敷地について -福井城下の町口における屋敷地の研究 その6

    伊豆蔵庫喜,多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 66 )   439 - 442   2023年7月

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    本研究は城下図や史料をもとに、福井城下から領内各地に通じる街道の出入り口にあたる13の町口付近に配されていた武家屋敷地や与力、足軽などの組屋敷について検討する。本稿は福井城下の東南端に位置する勝見口における屋敷地について報告する。なお、本稿では大野街道沿いの北寄りの区域を勝見町とし、新川の東岸沿いの南西寄りの区域を勝見村と区分して考察した結果、万治2年の大火前から慶応までの勝見口の屋敷地の位置や居住者については、勝見口は福井城下から大野に通じる町口にあたり、大野街道沿いに勝見町とそれに西南を接する勝見村の1町1ヵ村がみられるなどの7点が指摘できる。

  • 志比口と地蔵町口における屋敷地について 福井城下の町口における屋敷地の研究 その5

    伊豆蔵庫喜,多米淑人,吉田純一

    福井工業大学研究紀要   ( 52 )   136 - 145   2022年10月

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    本研究は城下図や史料をもとに、福井城下から領内各地に通じる街道の出入り口あたる13の町口付近に配置されていた武家屋敷地や組屋敷について検討するものである。本稿は中でも万延2年の大火前から慶応までの福井城下の東北部にある志比口と地蔵町口の屋敷地の位置や居住者について検討した結果、以下のことが指摘できる。
    1)志比口付近には、志比口筏町、御駕町、東御旗町、御小人町、西御旗町の5町があり、いずれも江戸時代を通して与力や足軽が居住する組町である。
    2)志比口筏町、御駕町と西御旗町の3町は、町の大半を組屋敷が占めている。但し、時代によっては一部、町人地や寺院および武家屋敷地が配されている。
    3)東御旗町は、万冶2年の大火前から慶応まですべての屋敷地が組屋敷である。
    4)御小人町も町の大部分を組屋敷が占めているが、正保2年~享保6年までの76年間、北寄りの一画に松平昌勝(松岡藩初代藩主)の屋敷(後、松岡藩福井屋敷)が置かれている。
    5)地蔵町口付近には、地蔵町、奥町、外地蔵町の3町があり、3町とも与力や足軽ら下級武士の居住区である。
    6)地蔵町も組町であるが、志比口筏町や御駕町同様、町人地や寺院および武家屋敷地が配されている時期もみられる。
    7)奥町についても屋敷地のほとんどが組屋敷であるが、寛文9年~貞享2年の間、御丈堂が置かれている。
    8)外地蔵町は他の町と違い、最上級家格である高知席の芦田内匠家の下屋敷が置かれていること、幕末には武家地の数が組屋敷より多いことが認められる。
    9)志比口と地蔵町口の屋敷地は、既報の加賀口や明里口で明らかにした貞享3年の大法以降、組屋敷が減少して中級武士の屋敷地が増加する傾向は認められず、2つの町口は江戸時代を通じて、常に下級武士が居住する組町であったことが指摘できる。

  • 牧ノ島口における屋敷地について -福井城下の町口における屋敷地の研究 その4-

    伊豆蔵庫喜,多米淑人,吉田純一

    2022年度大会(北海道)日本建築学会大会学術講演梗概集   555 - 556   2022年9月

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    本研究は城下図や史料をもとに、福井城下から領内各地に通じる街道の出入り口にあたる13の町口付近に配されていた武家屋敷地、与力および足軽などの組屋敷について検討する。本稿は城下西北端に位置する牧ノ島口の屋敷地について検討した結果、牧ノ島口には米沢町、田原町と土居原町があったこと、米沢町は貞享2年時の地方地が正徳4年~安永4年の間に町人町に変わったこと、寺町として成立した田原町は文化8年以降、屋敷地が北方に延びて8筆の武家屋敷地が配されたこと、土居原町は与力や足軽の組屋敷、上級武士の下屋敷、町人地や寺院が混在していたことなどが指摘できる。また、牧ノ島口は福井城下の西北端にあたり、与力や足軽の組屋敷や寺院を配して非常に備えていたことも明らかにできる。

  • 旧松岡藩士 三岡家(由利公正家)とその屋敷地-松岡藩士とその屋敷地の研究 その6-

    伊豆蔵庫喜,多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 65 )   357 - 360   2022年7月

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    本研究は正保2年(1645)から享保6年(1721)の間、福井藩の支藩であった松岡藩の藩士とその屋敷地に着目し松岡城下における屋敷割や個々の屋敷地の位置および大きさについて検討するとともに、享保6年の福井藩への併合に伴う松岡藩士の福井城下における拝領地についても明らかにする。本稿は既報に続き、旧松岡藩士の三岡家とその屋敷地について考察した結果、三岡家は9代に渡り松岡藩と福井藩に仕えた家で、なかでも7代八郎は文久2年に福井藩の御奉行本役に取り立てられていること、松岡時代と福井時代とも家禄100石の中級武士に属していたこと、享保15年の福井城下への移住直後は中級武家町の新屋敷2番町の東端に225坪の屋敷地を拝領していたこと、その後は元文5年に新屋敷2番町の本丸よりに転居し、安永3年には毛矢東裏町に屋敷替えしていたことなどが指摘できる。また、既報のように、拝領地の位置や敷地の大小は家格や家禄の高低との関連性が認められる。三岡家についても、7代当主の八郎が福井藩の要職に就いているが、大名町周辺の上級武家町に屋敷地を与えられたことは一度もなかったことも明らかにできる。

  • 旧京藤甚五郎家住宅土蔵について

    多米淑人,福井宇洋,大場修

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 65 )   377 - 380   2022年7月

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     旧京藤甚五郎家住宅は、2021年8月2日に重要伝統的建造物群保存地区に選定された、福井県南越前町今庄地区の旧今庄宿の中ほどに位置し、主屋は旧北陸道沿いに建つ。当主屋は享和年間に建てられた1)もので、木造2階建、間口5間×奥行7間、切妻造、平入、外壁は塗籠とし、屋根卯建を上げる。この主屋の北側には、前庭をとった木造平屋建、正面2間半×奥行5間、式台付の座敷が接続していて、これらは2010年に福井県有形文化財(建造物)に指定されている。敷地内には他に土蔵と小屋がそれぞれ離れて1棟ずつ建っている。
     本稿はこれまで未調査であった上記の土蔵について報告するもので、当土蔵は明治16年に造られた、切妻造、妻入り、桟瓦葺の木造3階建、梁間3間×桁行4間の主体部前面に、塗籠の蔵前が付く、主要部材をケヤキ材とクリ材とするものである。この土蔵は作成年代が不明な2葉の「家相図」にも描かれていて、「家相図A」は「家相図B」よりも前に作成されたことが、描かれている土蔵の規模や記述からも明らかにできた。

  • 町人地における享和3年の町組頭とその屋敷地-福井城下のにおける町人地の研究 その5-

    伊豆蔵庫喜,多米淑人,吉田純一

    福井工業大学研究紀要   ( 51 )   133 - 140   2021年9月

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    本稿は町庄屋の上役にあたる町組頭に着目し、町組ごとに区分した分布固を提示すること、特定できる町組頭の屋敷地の位置を図に示すことを目的とする。既報研究の分布図では曖昧な部分があったが、本稿において詳細な町組の分布図を示すことができた。また、また、亨和3年における町組11組のなかで、城ノ橋町組のみが郭内に位置していること、11組に属するのは町方町が最多の128町で、地方町が46町、門前と地名子が40ヶ所、寺院が119寺、神社が2社あること、城下中心部の町組に属する町は少数であること、城下周縁部にある木田町組、石場町組、上呉服町組や松本町組は、多くの地方町が属していること、町組によっては、特定の家が代々、町組頭を世襲していたのではなかったことなども明らかにできた。

  • 近世指図の作図技法・描法の展開に関する研究 その3 『叡山文庫』所蔵の根本中堂と大講堂の地割図について

    多米淑人,吉田純一,伊東龍一,斎藤英俊

    2021年度大会(東海)日本建築学会大会学術講演梗概集   821 - 822   2021年9月

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    本研究は、近世の指図や建地割図の作図技法・描法を解明するもので、本稿は『叡山文庫』所蔵の根本中堂と大講堂の地割図(立断面図)にみられる墨書や裏打、箆引などを検討し、『叡山文庫』所蔵の地割図の作図法を明らかにする。『叡山文庫』所蔵の根本中堂と大講堂の外観地割図と内部地割図はそれぞれ3点ずつみられ、外題と内題の書き方から3つのグループ(A、B、C)に分けられ、これらはA→B→Cの順序で図や墨書が綺麗かつ丁寧になっていることが指摘できる。さらに、これら3グループは作図法も異なって、墨線を引く基準線や補助線となる箆引はBグループの図面が最も緻密に引かれていることも指摘できる。また、最も綺麗なCグループの各図面は、それぞれのBグループの図面を写し取って作成された可能性があることも明らかにできた。

  • 与力町における武家屋敷地および与力の組屋敷 -福井城下の町口における屋敷地の研究 その3-

    伊豆蔵庫喜,多米淑人,吉田純一

    2021年度大会(東海)日本建築学会大会学術講演梗概集   465 - 466   2021年9月

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    本研究は城下図や史料をもとに、福井城下から領内各地に通じる街道の出入り口にあたる13の町口付近に配されていた武家屋敷地、与力および足軽などの組屋敷について検討する。本稿は城下西端に位置する明里口の屋敷地について検討した結果、明里の西端にある明里米蔵の入り口(南側)付近には2筆の役宅が置かれていたこと、御舟町には御水主頭の役宅とその配
    下の組屋敷が配されていたこと、最上級家格の高知席の下屋敷が3筆~4筆あったことなどが指摘できる。また、明里口は他の町口と異なり、足羽川を利用した水運の拠点であるため、役宅や組屋敷とともに高知席の下屋敷を配して警衛にあたっていたと考えられる。

  • 小浜放生祭の大太鼓屋台・傘鉾について

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 64 )   356 - 359   2021年7月

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    本稿は建築調査を実施した住吉区大太鼓屋台および傘鉾と広峰区大太鼓屋台の建築形式を明らかにし、併せて、『小浜祇園祭礼絵巻』(以下、『絵巻』とする)に描かれている大太鼓屋台との関連もてみていくもので、小浜放生祭の大太鼓屋台は現在5区5基所有している。これら5基はすべてが梁間一間×桁行一間、平屋建、切妻造で、担ぎ棒と舵棒を備える車輪付である。また、このうちの3基は切妻造の招き屋根で、部材を黒漆で塗り、錺金具を施す。この3基は、『小浜祇園祭礼絵巻』に描かれた大太鼓屋台と類似した建築形式であることが指摘でき、さらに、担ぎ棒は安政期からの名残として装飾的に現況の大太鼓屋台にも備えられていることも指摘できる。傘鉾は現在住吉区だけが所有していて、これは江戸後期の享和4年に造られたものである可能性が高いことも指摘できる。

  • 松岡藩家老明石縫殿家とその屋敷地-松岡藩士とその屋敷地の研究 その5-

    伊豆蔵庫喜,多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 64 )   430 - 433   2021年7月

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    本研究は正保2年(1645)から享保6年(1721)の間、福井藩の支藩であった松岡藩の藩士とその屋敷地に着目し松岡城下における屋敷割や個々の屋敷地の位置および大きさについて検討するとともに、享保6年の福井藩への併合に伴う松岡藩士の福井城下における拝領地についても明らかにする。本稿は既報に続き、松岡藩の家老である明石縫殿家とその屋敷地について考察した結果、松岡時代の明石縫殿家は番外に含まれ、中根靭負家や秋田八郎兵衛家とともに「家老・城代」に就ける番外の最上位にあたる5家のひとつである。など8つの点を明らかにできた。

  • 勝山市北谷町小原集落の星空観光に向けた取組み

    多米淑人,三寺潤,吉村朋矩

    福井工業大学研究紀要   ( 50 )   292 - 301   2020年10月

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    2017年度から2019年度に亘って実施した小原集落での星空をメインテーマとしたツアーに関する取組みを実施したことによって、小原集落あるいは小原ECOプロジェクトが自立的にツアーを実施できる観光システムを開発することはできたことは大きな成果といえ、今後も大学が参画するかたちで、継続的な支援を行なっていきたいと考えている。また、本私立大学研究ブランディング事業によって、夜間における集落の魅力をブランド化・観光化することができ、廃村間近の集落においても存続できる可能性があることを示唆した事例といえる。

  • 福井城下における旧松岡藩士の拝領地 松岡藩士とその屋敷地の研究 その4

    伊豆蔵庫喜,多米淑人,吉田純一

    福井工業大学研究紀要   ( 50 )   278 - 286   2020年10月

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    福井城下における旧松岡藩士の拝領地の屋敷割や敷地の大小と、松岡時代に家格や禄高の高低、居住区との関連性に検討した結果、福井城下の東南部の新屋敷と橋南の毛矢町に多くの松岡藩士が移住していること、新屋敷?区に松岡城下の中心部(A区)からの移住者が集中していること、福井城本丸に近い上級武家町の神明前に中根靭負家、中ノ馬場に雨森新七家、御泉水町に渋谷弥悦家と磯野多宮家など松岡時代の番外上位の家が配されていること、中根靱負家、雨森新七家や秋田八郎兵衛家ら3家に与えられた屋敷地は、福井藩士から屋敷替えされたものであることなどが指摘できる。

  • 与力町における武家屋敷地および与力の組屋敷 -福井城下の町口における屋敷地の研究 その2-

    伊豆蔵庫喜,多米淑人,吉田純一

    2020年度大会(関東)日本建築学会大会学術講演梗概集   752 - 751   2020年9月

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    本研究は、福井城下の周縁部に配されていた武家屋敷地や与力、足軽などの組屋敷の件数や個々の居住者について検討するもので、本報は、既に述べた松本下町と上油町の西側にあり、北陸街道沿いの与力町の屋敷地について検討した結果、江戸時代初期の与力町は町名の通り、上級武家に従仕する与力の組屋敷が多く配されていた。しかし、与力は年代とともに減少し、幕末には中級武家町に変わっている。一方、与力町の北側は加賀口周辺と異なり、堀や土居が築かれてないため、与力の組屋敷や中級武士の屋敷を配して、城下北端の警衛に当たっていたと考えられる。

  • 近世指図の作図技法・描法の展開に関する研究 その2 「円覚寺仏殿造営図」の墨書記載時期と作図法

    多米淑人,吉田純一,伊東龍一,斎藤英俊

    2020年度大会(関東)日本建築学会大会学術講演梗概集   55 - 56   2020年9月

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    本研究は、近世の指図や建地割図の作図技法・描法を解明するもので、本稿は「円覚寺仏殿造営図」にみられる墨書の記載時期や全紙貼り合わせ(以下、一鋪状態とする)の料紙にみられる箆引箇所および墨線の描写道具、作図法について明らかにするもので、「円覚寺仏殿地割図」の墨書の記載順は裏書(元亀4年)、表面いろは番付・添書、裏面イロハ番付・添書となることが指摘でき、「円覚寺仏殿差図」は、裏書と表面番付は、「円覚寺仏殿地割図」とそれぞれ同時期であるが、裏面番付はどの墨書とも一致せず、いつの時期に記されたかは判断できない。「円覚寺仏殿造営図」は、箆引を基準あるは補助線として墨線を引いて、これらの直線は定規を用いて墨差で描かれている。

  • 松岡藩筆頭家老中根靱負家とその屋敷地 -松岡藩士とその屋敷地の研究 その3-

    伊豆蔵庫喜,多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 63 )   261 - 264   2020年7月

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    旧松岡藩の筆頭家老であった中根靱負家とその屋敷地について検討した結果、松岡時代の中根靱負家は御館前の最上級武家地の代官町に、藩士最大の屋敷(1750 坪)が与えられていたこと、家督は7代の靱負以外、すべて実子が継承していたこと、松岡藩の筆頭家老であっても福井藩では最上位の高知席に就けなかったこと、福井城下での屋敷地は、上級武家町の柳門前や文庫町および神明前に拝領していたことなどが指摘できる。また、福井城下での屋敷地は、いずれも松岡時代よりかなり小さめであったことも明らかにできた。

  • 小浜放生祭山車8基の建築的特徴

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 63 )   475 - 478   2020年7月

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    本稿は建築調査を実施した小浜放生祭の出し物である、鹿島区神楽屋台と津島区神楽屋台の詳細を述べつつ、現状の神楽屋台全体の建築形式を明らかにし、併せて、これらと『小浜祇園祭礼絵巻』に描かれている神楽太鼓の屋台との関連もてみていくものであある。現在の神楽屋台は、本屋台と先屋台で一対となっていて、これらの一般的な建築形式は、本屋台が梁間一間×桁行一間、切妻造の4輪の曳屋台で、外部露出部材に黒漆塗と錺金具を施し、担ぎ棒を備え、先屋台が桁行一間、切妻造、外部露出部材に黒漆塗と錺金具を施し、これを台車に載せる屋台である。また、『小浜祇園祭礼絵巻』に描かれた神楽屋台は、現存はしていないものの現在の本屋台に相当するもので、その名残として担ぎ棒が現況の本屋台にも備えられていて、『小浜祇園祭礼絵巻』は文久2年(1862)~3年(1863)以前に描かれたものである可能性が高いことも指摘できる。

  • 福井城復元VR作成の取り組みについて

    多米淑人

    FUT福井城郭研究所年報・研究紀要   ( 7 )   39 - 42   2020年3月

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    本稿は2018年度に実施した福井城復元VR作成の取り組みについて報告するものである。本復元VRは現実世界では復元することが困難な福井城本丸内の城郭建築群をバーチャル世界で復元し、これらをアプリ上(「ストリートミュージアムR」)で、閲覧・体験することができるものである。これによってバーチャルではあるものの藩政期の福井城を感じることができ、福井城(址)の認知度や満足度向上に一助になると期待している。

  • 松岡城下における武家屋敷地の分布 松岡藩士とその屋敷地の研究 その1

    伊豆蔵庫喜,吉田純一,多米淑人

    福井工業大学研究紀要   ( 49 )   257 - 265   2019年12月

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    福井藩の支藩である松岡藩の藩士に着目し、松岡城下における武家屋敷地の分布や屋敷割および個々の屋敷地の位置や大きさについても検討するとともに、享保6年(1721)の福井藩への合併に伴う松岡藩士の推移や福井城下における拝領地に関しても考察した結果、御館の東側と南側と西側にかけての1重目の堀沿いの大名町を含む城下中心部のA区は松岡藩士のなかでも最上位の番外藩士の屋敷地が占めていること、A区の東と西の外側にあるB区はほとんどが番組藩士の屋敷地であったこと、C区は新町と称され、慶安2年(1649)の城下創設期にはなかったことが指摘できる。

  • 勝山市北谷町小原集落の星空観光の取り組みについて

    多米淑人

    福井工業大学研究紀要   ( 49 )   266 - 271   2019年12月

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    本稿は、福井県勝山市北谷町小原の修復民家や集落景観,国際的に銀賞に相当する21.4等級の星空などの集落遺産を活用して、一般の方々を対象として実施した「勝山小原貸切スターツアー」の取り組みについて報告するもので、私立大学研究ブランディング事業として実施したものである.ツアーは定員50名に対して43名の参加であること、アンケート結果が好意的なものが多いことから、初回としては成功といえる。小原ECOプロジェクトが目標とする、「小原集落の廃村の進行を遅らせ、あるいは廃村になってしまった場合においても固有の伝統や集落景観を保持しつつ小原という空間の存続を目指す」のためには、集落遺産である古民家や集落景観だけでなく、今回のような国際的に銀賞に相当する21.4等級の星空を活用することは非常に重要で、今後も継続してツアーを実施する予定である。

  • 近世指図の作図技法・描法の展開に関する研究 その1 「円覚寺仏殿地割図」の復原

    多米淑人,吉田純一,伊東龍一,斎藤英俊

    2019年度大会(北陸)日本建築学会大会学術講演梗概集   801 - 802   2019年9月

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    鎌倉国宝館には、元亀4年(1573)3月23日に作成された「瑞鹿山圓覺寺佛殿地割之圖」(以下、「円覚寺仏殿地割図」とする)と「瑞鹿山圓覚寺佛殿差圖」(以下、「円覚寺仏殿差図」)の両図(以下、両図をいうときは「円覚寺仏殿造営図」とする)が一紙一紙ばらばらの状態で保管されている。これらの描写内容については、関口欣也氏によって既に明らかにされていてるが、各料紙の配置根拠は示されておらず、料紙配置については再考する必要がある。本研究は、指図や建地割図の作図技法・描法を解明するもので、本稿ではまず、一紙一紙ばらばらの状態の「円覚寺仏殿造営図」を各料紙に描かれた絵図面や記載内容、痕跡などを精査し、作図当時に復原することを目的とする。なお、両図のうち「円覚寺仏殿差図」については、指図の描写から容易に作図当時に復原することができるため、本稿は主に「円覚寺仏殿地割図」について考察する。「円覚寺仏殿地割図」は、料紙に記されている番付通りに並べると、特に表裏番付不一致の料紙において整合性を欠く箇所がみられ、番付に間違いみられる。しかし、絵図面の墨線や裏書の記述、糊代痕や折れ目を精査することによって、全紙を貼り合わせていた作図当時の料紙配置を復原することができ、これは前述の『神奈川縣文化財圖鑑 建造物篇』、『月刊文化財(573号)』に掲載されている「円覚寺仏殿地割図」の料紙配置とは異なるものもある。さらに、各料紙の表裏面に記されている番付は、明らかに間違っているものもみられることから作図時の元亀4年に記されたものでなく、後年の一紙一紙ばらばらの状態のときに記されたことも指摘できる。

  • 加賀口にみる武家屋敷地および与力や足軽の組屋敷 -福井城下の町口における屋敷地の研究 その1-

    伊豆蔵庫喜,吉田純一,多米淑人

    2019年度大会(北陸)日本建築学会大会学術講演梗概集   979 - 980   2019年9月

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    福井城下から領内各地に通じる街道の出入り口にあたる13の町口に着目して、これら13口に配されていた武家屋敷地や与力、足軽などの組屋敷について検討した結果、加賀口内の松本下町に、江戸時代を通して町人地の東側に御先物頭の役宅であったこと、上油町は万治2年(1659)の武家屋敷地は1筆、組屋敷が7筆あったが、寛文9年(1669)以降は下級武士の屋敷地が増加し、与力や足軽などの組屋敷が減っていることなどが指摘できる。

  • 山間集落の再生・活性化に向けた実践研究~福井県勝山市小原集落の事例~ 査読

    多米淑人

    北陸都市史学会   ( 25 )   27 - 31   2019年8月

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    本稿は、小原集落における13年間の勝山市小原集落で行った実践研究の成果につてい述べるもので、小原集落の立地や環境(冬季の積雪)を勘案すると、今後も定住人口を増加させることはほぼ不可能であることから、小原集落の再生・活性化のためには交流人口を増加させることが重要であるといえる。そのためにも、ハード面である古民家修復による拠点造りや集落景観保持とソフト面である各種のイベントによって、集落の魅力を周知・発信することが重要である。また、平成30年度から本格的に始めた星空を活用したツアーは、これまでと異なった小原集落の夜の魅力を一般市民の方々に体験してもらうもので、今後の小原集落への交流人口増加に向けた大きな可能性があると考えている。さらに、学生たちが携わる古民家修復活動は実践的な教育・研究の教材としても非常に有意義である。

  • 小浜放生祭山車8基の建築的特徴

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 62 )   211 - 214   2019年7月

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    小浜放生祭は明治9年(1876)頃、延久年間(1069~1073)盛んになり、その後も連綿と続けられていた八幡神社(小浜市男山)の放生会に、京極高次が若狭国に入封した慶長5年(1600)年に始まったとされる廣峰神社(現小浜市千種)の祇園祭の内容を引き継いだ八幡神社(前出)の祭礼である。現在は毎年9月の敬老の日直前の土・日曜日に行われ、旧小浜24区が隔年12区ずつ山車や獅子舞(三匹獅子舞)、神楽(神楽太鼓)、大太鼓(棒振大太鼓)、神輿といった多彩な出し物を奉納するものである。
    出し物の中でも山車は、24区うちの9区が各1基ずつ所有し、計9基みられ、本稿はこれら小浜放生祭の出し物である山車9基のうち諸事情により調査ができなかった竜田区山車を除く8基についての建築的特徴を明らかにするものである。小浜放生祭の山車8基は、入母屋造・妻入り、階層数が二層、主体部柱間が一・二層ともに一間×二間、正面に出囃子を付け、出囃子と二層の高欄を一重の跳高欄、天井を格子組とし、これらの寸法は一層が5.5尺前後×8.9尺前後、二層が4.2尺前後×7.1尺前後、総高が14.6尺前後とするものが一般的な建築形式といえる。8基はいずれも正面性を意識して造られていて、祭礼時に二層部分を上げる巻上型が5基みられる。建築年代は慶応4年(1868)の清滝区山車が最も古く、他は明治期のものが3基、大正、昭和がそれぞれ1基ずつであることが指摘できる。

  • 高家 水戸但馬家、山川内膳家とその屋敷地 -福井城下の武家地の研究 その38 -

    伊豆蔵庫喜,吉田純一,多米淑人

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 62 )   243 - 246   2019年7月

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    福井藩士の中でも最上級家格の高知席と寄合席の間に位置づけられていた高家の水戸但馬家と山川内膳家とその屋敷地について考察した結果、水戸家は10代、山川家は11代にわたり家督を継承して高家を務めていたこと、家禄は4代以降、水戸家が百俵、山川家が20人扶持であったこと、水戸家は元和9年に1度、山川家は朝重時代と寛保2年の2度、存続の危機に遭遇したが、秀康時代からの名家であるため、その都度廃家を免れたこと、高家の席次は江戸時代を通して水戸家が、山川家の上位であることなどが指摘できる。また、両家より下位にあたる寄合席や定座番外席は、城下中心部の上級武家町の中ノ馬場や土居ノ内に屋敷地を拝領しているが、上席の水戸家と山川家は中級・下級武家町の城ノ橋町や江戸町に屋敷地が与えられていたことを指摘できる。

  • 丸岡城天守の新旧材

    多米淑人

    FUT福井城郭研究所年報・研究紀要   ( 6 )   40 - 48   2019年3月

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    丸岡城天守は昭和9年に旧国宝の指定を受け、昭和15から17年には解体修理(以下、「S17修理工事」とする。)が施されたが、昭和23年6月28日の福井地震によって石垣も含め倒壊してしまった。現天守は福井地震から3年後の昭和26年から30年にかけて保管していた旧材を用いて、旧来の状態に復興再建されたものである(以下、「S30修理工事」とする。)であるが、現天守に用いられている部材の年代についての詳細は明らかでない。現天守の昭和期の部材は、根太が169/222本(76.1%)、床板が404/450枚(89.8%)、垂木が243/253本(95.7%)、隅木が11/16本(68.8%)、築城当初あるいは江戸期の修理材である古材は、根太が25/222本(11.3%)、床板が39/450枚(8.7%)、垂木が5/253本(95.7%)、隅木が1/16本(6.3%)で、圧倒的に昭和期の材が多くを占めることが明らかにすることができた。

  • 旧北国街道今庄宿の歴史的町並みに関する研究 -その2 近代に建設された町家の建築的特徴-

    福井啓太,大場修,青柳憲昌,坪田叡伴,多米淑人

    2018年度大会(東北)日本建築学会大会学術講演梗概集   583 - 584   2018年9月

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    本稿は、旧今庄宿の町家の編年の指標を得るため、町家の悉皆的な外観調査、及び島崎家蔵資料の調査を行い、江戸末期から近代にかけての町家の平面・立面の変化を考察したもので、建築年代によって、平面は火袋の有無に、立面は軒高や下屋庇の形式の違いに差異があることを明らかにした。

  • 姫路城三の丸御居城を描いた2図の比較-姫路城三の丸御居城鶴ノ間の復元考察 その3-

    多米淑人,吉田純一

    2018年度大会(東北)日本建築学会大会学術講演梗概集   695 - 696   2018年9月

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    姫路城三の丸城御居城は、三の丸に置かれていた御殿で、明治8~9年に取り壊され現存していない。この御居城のおおよその平面規模については、既に明らかにされているが、細かな室については論じられていない。本稿は、「播州姫路城図(大絵図)」と新たに蒐集した『姫陽秘鑑』所収の「御本城図」の2図についての比較・検討を行った結果、両図の個々の室規模はほぼ一致すること、両図の差異やズレは絵図の作成年代や作図物の性格の違いによって生じていると考えることができることを明らかにした。

  • 常盤町にみる武家屋敷地および医師や茶道師などの屋敷地 -福井城下の町人地研究 その3-

    伊豆蔵庫喜,吉田純一,多米淑人

    2018年度大会(東北)日本建築学会大会学術講演梗概集   141 - 142   2018年9月

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    貞享2年(1685)以降の常磐町にみられる武家屋敷地、医師や茶道師などの屋敷地について検討した結果、常磐町は秀康時代に寺町として成立したが、貞享2年までに寺院が移転し町人町になったこと、北側の屋敷地は町屋敷のほか、武家や医師、茶道師の屋敷地が混在していたこと、南側は屋敷割されてからは常に町屋敷であったことなどを明らかにした。

  • 旧北国街道今庄宿の歴史的町並みに関する研究 -その1 町家の建築的特徴と町並みの構成-

    福井啓太,大場修,青柳憲昌,坪田叡伴,多米淑人

    2018年度大会(東北)日本建築学会大会学術講演梗概集   581 - 582   2018年9月

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    本稿は、現地に残る島崎家の大工文書にある町家指図や課税台帳を用いつつ、町並みと町家の建築構成を検討し、さらに他地区の町家や周辺の農家の平面構成との類似性や、今庄宿の歴史的建造物の年代的分布を明らかにするもので、平面形式については大きく「通り板間型」と「前板間型」の2つに分けられること、伝統的表構えを持ったものが昭和30年代から50年代にかけても一部には建てられていたことを明らかにした。

  • 藩士飯田主税家とその屋敷地 -福井城下の武家地の研究 その37 -

    伊豆蔵庫喜,吉田純一,多米淑人

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 61 )   377 - 380   2018年7月

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    波々伯部家と同じ寄合席である飯田主税家とその屋敷地について検討した結果、飯田主税家は2代茂久と6代安太郎以外は、すべて養子が家督を継承していたことを明らかにできた。また、飯田主税家は福井藩の寄合席であるが、下級武家町の城ノ橋町や新屋敷に住んでいた時期があったこと、江戸時代を通して屋敷地が3度も福井藩の御用地になり、その都度屋敷替えを行っていたことなどが指摘できる。さらに、飯田主税家の屋敷地が杉山家と辻家への屋敷地へ分筆された事例も確認できた。

  • 勝山市小原の集落活性化活動(その5)- 平成29年度の活動報告 -

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 61 )   288 - 290   2018年7月

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    小原ECOプロジェクトは、廃村の危機が迫った小原集落を(旧)地元民と大工棟梁、福井工業大学建築土木工学科が連携して再生・活性化を目指し、活動しているものである。この活動は平成18年度から始まり、平成29年度で12年目を迎え、これまでに8棟の民家修復(内1棟は現在進行中の民家)と休憩所1棟の建設、さらに学生が企画・運営したイベントも行っている。本稿は、特に平成29年度に行なった小原集落での集落活性化の活動について報告するものである。

  • 町別にみる敷地の大きさの比較について 福井城下における町人地の研究 その1

    伊豆蔵庫喜,吉田純一,多米淑人

    福井工業大学研究紀要   ( 48 )   173 - 179   2018年6月

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    『四ッ割図』に記載されている各屋敷地の間口、奥行の間数を基に坪数を算定し、町別の敷地面積を比較検討した結果、町敷地の面積は北陸街道沿いと、その東側の町は大きめであること、特に表通りに面する呉服町、本町、長者町などの中心町は60坪を超える町屋敷が多いこと、東側のなかでも裏町にあたる米町、大黒町、魚町などの敷地面積は中心町と比べて、かなり狭小であることなどを明らかにした。

  • 勝山市北谷町小原集落の再生・活性化活動報告

    多米淑人

    福井工業大学研究紀要   ( 48 )   180 - 188   2018年6月

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    福井県勝山市北谷町小原は石川県境の山間にある、住民が2戸2人(集落人口は1人)という廃村の危機が迫った限界集落である。この小原集落の再生・活性化を目指し、(旧)地元民と大工棟梁、福井工業大学工学部建築土木工学科が連携事業として立ち上げた小原ECOプロジェクトは、平成29年度で12年目を迎える。本稿は、小原集落におけるこれまでの12年間の古民家修復の概要やイベント活動などについて報告するものである。

  • 御居城鶴ノ間(下の間)および應對ノ間、式台の間、車寄の復元考察-姫路城三の丸御居城の復元考察 その2-

    多米淑人

    FUT福井城郭研究所年報・研究紀要   ( 5 )   58 - 69   2018年3月

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    絵図や史料、御殿建築の修理工事報告書、『匠明五巻考』などを用いて、御居城で最も重要な室であった鶴ノ間(上の間)については、既に復元を試みているが、本稿では同様な手法を用いて、鶴ノ間(上の間)より西側にある鶴ノ間(下の間)から玄関までの復元を試みるものである。特に高さ関係や内部意匠の史料が乏しい中、各種史料を用いて現時点での復元案を示すことができ、一定の成果を得られたと考えている。

  • 勝見村の北にある武家地 -福井城下の武家地の研究 その36 -

    伊豆蔵庫喜,吉田純一,多米淑人

    2018年度大会(中国)日本建築学会大会学術講演梗概集   705 - 706   2017年8月

  • 絵図史料からみる姫路城三の丸御居城鶴ノ間の平面規模について-姫路城三の丸御居城鶴ノ間の復元考察 その1-

    多米淑人,吉田純一

    2017年度大会(中国)日本建築学会大会学術講演梗概集   23 - 24   2017年8月

  • 藩士波々伯部靭負家とその屋敷地 -福井城下の武家地の研究 その35 -

    伊豆蔵庫喜,吉田純一,多米淑人

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 60 )   583 - 586   2017年7月

  • 勝山市小原の集落活性化活動(その4)- 平成28年度の活動報告 -

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 60 )   330 - 332   2017年7月

  • 木の芽峠の御茶屋前川家住宅

    吉田純一,多米淑人

    福井工業大学研究紀要   ( 47 )   320 - 330   2017年5月

  • 享保6年松岡藩併合に伴う武家屋敷地の変遷 福井城下の武家地の研究 その34

    伊豆蔵庫喜,吉田純一,多米淑人

    福井工業大学研究紀要   ( 47 )   311 - 319   2017年5月

  • 姫路城三の丸御居城鶴ノ間の復元考察

    多米淑人

    FUT福井城郭研究所年報・研究紀要   ( 4 )   59 - 68   2017年3月

  • 『(大)日本名蹟図誌』にみる神社の拝所について

    多米淑人

    2016年度大会(九州)日本建築学会大会学術講演梗概集   579 - 580   2016年8月

  • 福井県嶺北地方の農家型民家の構造調査と耐震性能評価

    辻岡静雄,五十嵐啓,多米淑人

    2016年度大会(九州)日本建築学会大会学術講演梗概集   297 - 298   2016年8月

  • 藩士皆川家の屋敷地とその変遷 -福井城下の武家地の研究 その32-

    伊豆蔵庫喜,吉田純一,多米淑人

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 59 )   567 - 570   2016年7月

  • 勝山市小原の集落活性化活動 (その3)- 平成27年度の活動報告 -

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 59 )   285 - 287   2016年7月

  • 『若越宝鑑』にみる拝所について

    多米淑人

    2015年度大会(関東)日本建築学会大会学術講演梗概集   293 - 294   2015年9月

  • 勝山市小原の集落活性化活動(その2)-平成26年度の活動報告-

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 58 )   454 - 456   2015年7月

  • 池田町の農家型伝統的茅葺き民家の耐震性能評価

    辻岡静雄,五十嵐啓,多米淑人

    福井工業大学研究紀要   ( 45 )   84 - 94   2015年7月

  • 本承寺建築調査報告書

    多米淑人,吉田純一

    福井工業大学研究紀要   ( 45 )   376 - 387   2015年7月

  • 福井の開口を有する土壁塗木造軸組の耐震性能

    辻岡静雄,五十嵐啓,多米淑人,国京克巳

    2014年度大会(近畿)日本建築学会大会学術講演梗概集   109 - 110   2014年9月

  • 『山城宝鑑』にみる神社の拝所について

    多米淑人

    2014年度大会(近畿)日本建築学会大会学術講演梗概集   25 - 26   2014年9月

  • 勝山市小原の集落活性化活動

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 57 )   662 - 664   2014年7月

  • 福井の土壁内壁の耐震性能

    辻岡静雄,五十嵐啓,多米淑人,国京克巳

    福井工業大学研究紀要   1 ( 44 )   97 - 106   2014年6月

  • 『近江宝鑑』にみる神社の拝所について

    多米淑人

    福井工業大学研究紀要   2 ( 44 )   278 - 285   2014年6月

  • 『近世社寺建築調査報告書集成』と『延喜式内並国史見在神社考証』にみる拝所

    多米淑人

    日本建築学会大会学術講演梗概集   391 - 392   2013年8月

  • 『延喜式内並国史見在神社考証』にみる拝所

    多米淑人

    福井工業大学研究紀要   2 ( 43 )   380 - 386   2013年6月

  • 勝山市小原の岸下稔家住宅

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 56 )   450 - 453   2013年5月

  • 敦賀市博物館通りの町屋改修計画

    多米淑人,宮嶋隼也

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 56 )   498 - 501   2013年5月

  • 勝山市小原における学生主体の集落活性化活動

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 56 )   612 - 614   2013年5月

  • 福井県鯖江市の瀧波家住宅

    宮嶋隼也,吉田純一,多米淑人

    日本建築学会大会学術講演梗概集   ( F-2 )   757 - 758   2012年9月

  • 福井県若狭町の宇波西神社の拝所とその建築年代

    多米淑人

    日本建築学会大会学術講演梗概集   ( F-2 )   801 - 802   2012年9月

  • 勝山市小原岩山信子家住宅について

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 55 )   549 - 552   2012年7月

  • 松文産業(株)旧女子寮「精華寮」の建築(4)古写真にみる寮内の生活風景

    多米淑人,吉田純一

    福井工業大学研究紀要   2 ( 42 )   563 - 574   2012年6月

  • 松文産業(株)旧女子寮「精華寮」の建築(1)宿舎棟の現況

    吉田純一,多米淑人

    福井工業大学研究紀要   2 ( 42 )   523 - 534   2012年6月

  • 松文産業(株)旧女子寮「精華寮」の建築(2)宿舎棟の復元

    吉田純一,多米淑人

    福井工業大学研究紀要   2 ( 42 )   535 - 553   2012年6月

  • 松文産業(株)旧女子寮「精華寮」の建築(3)玄関棟と講堂棟

    多米淑人,吉田純一

    福井工業大学研究紀要   2 ( 42 )   554 - 562   2012年6月

  • 福井県勝山市小原の道場誓家住宅

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会大会学術講演梗概集   ( F-2 )   517 - 518   2011年8月

  • 若狭地方と近接する地域の神社にみられる拝所について

    多米淑人

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 54 )   489 - 492   2011年7月

  • 勝山市左義長櫓(1)櫓の形式と特徴

    吉田純一,多米淑人

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 54 )   531 - 532   2011年7月

  • 勝山市左義長櫓(2)上・下袋田地区の左義長櫓

    吉田純一,多米淑人

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 54 )   533 - 536   2011年7月

  • 勝山市左義長櫓(3)上・下長淵地区の左義長櫓

    吉田純一,多米淑人

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 54 )   537 - 540   2011年7月

  • 富山の宮大工・酒井匠家と所蔵図面目録

    多米淑人,吉田純一

    福井工業大学研究紀要   2 ( 41 )   429 - 437   2011年6月

  • 板床形式の独立型拝所について-若狭地方の拝所の建築的研究-

    多米淑人

    日本建築学会大会学術講演梗概集   ( F-2 )   9 - 10   2010年9月

  • 発泡スチロールとヒノキ棒を用いたブリッジコンテスト

    五十嵐啓,野路利幸,多米淑人

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 53 )   649 - 652   2010年7月

  • 福井県若狭地方の神社にみられる独立型拝所の平面考察

    多米淑人

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 53 )   503 - 506   2010年7月

  • 「拝所」の呼称について-若狭地方の拝所の建築的研究-

    多米淑人

    福井工業大学研究紀要   2 ( 40 )   429 - 437   2010年6月

  • 発泡スチロールとヒノキ棒を用いたブリッジコンテスト

    五十嵐啓,野路利幸,多米淑人

    福井工業大学研究紀要   2 ( 40 )   206 - 214   2010年6月

  • 独立型拝所の建築形式の特徴-若狭地方の拝所の建築的研究 その1- 査読

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会計画系論文集   74 ( 645 )   2481 - 2487   2009年11月

  • 若狭地方における「拝所」の呼称について

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会大会学術講演梗概集   ( F-2 )   427 - 428   2009年8月

  • 勝山市小原の北山保夫家住宅

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 52 )   553 - 556   2009年7月

  • 敦賀市の常宮神社の拝所について

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 52 )   529 - 532   2009年7月

  • 敦賀市の常宮神社の拝所・中門の建築調査報告書

    多米淑人,吉田純一

    福井工業大学研究紀要   2 ( 39 )   384 - 391   2009年

  • 勝山市小原の家屋にみる建築的特質

    深澤翔,吉田純一,多米淑人

    日本建築学会大会学術講演梗概集   ( F-2 )   109 - 110   2008年9月

  • 若狭地方おおい町川上の新鞍神社の拝所について

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会大会学術講演梗概集   ( F-2 )   27 - 28   2008年9月

  • 若狭地方の神社造営に関わった大工たち

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 51 )   393 - 396   2008年7月

  • 勝山市小原の岩本了蔵家住宅とその修復について

    深澤翔,吉田純一,多米淑人

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 51 )   389 - 392   2008年7月

  • 幸道嘉太郎家住宅の建築調査報告

    吉田純一,多米淑人,深澤翔

    福井工業大学研究紀要   2 ( 38 )   17 - 22   2008年

  • 若狭地方の神社の拝所と社殿構成について

    多米淑人,吉田純一

    福井工業大学研究紀要   2 ( 38 )   9 - 16   2008年

  • 福井県若狭地方の神社の拝所について-独立型拝所と付設型拝所-

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会大会学術講演梗概集   ( F-2 )   25 - 26   2007年8月

  • 勝山市小原の岩本豊家住宅

    吉田純一,深澤翔,多米淑人

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 50 )   285 - 288   2007年7月

  • 福井県若狭地方の神社の拝所について-(1)独立型拝所の建築形式-

    多米淑人

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 50 )   257 - 263   2007年7月

  • 若狭の神社にみられる拝所の建築的研究-付設型拝所の建築形式-

    多米淑人,吉田純一

    福井工業大学研究紀要   2 ( 37 )   25 - 32   2007年

  • 『影印本・福井県神社明細帳(嶺南編)』にみる若狭地方の神社の拝所について

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会大会学術講演梗概集   ( F-2 )   365 - 366   2006年9月

  • 福井県旧名田庄村・高浜町・旧大飯町の拝所について

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 49 )   297 - 300   2006年7月

  • 福井県美浜町の神社建築の拝殿について

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会大会学術講演梗概集   ( F-2 )   15 - 16   2005年9月

  • 福井県美浜の神社建築の本殿について

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 48 )   353 - 356   2005年7月

  • 福井県美浜町の禅宗寺院本堂について

    吉田純一,多米淑人

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 48 )   349 - 352   2005年7月

  • 若狭美浜の社寺造営に関わった大工たち

    吉田純一,多米淑人

    福井工業大学研究紀要   2 ( 35 )   11 - 18   2005年3月

  • 福井県美浜町(嶺南)の神社にみられる拝所について

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会大会学術講演梗概集   ( F-2 )   215 - 216   2004年8月

  • 福井県美浜町の神社建築について

    多米淑人,吉田純一

    日本建築学会北陸支部研究報告集   ( 47 )   244 - 247   2004年7月

  • 観音院の門

    吉田純一,木村悠,多米淑人

    福井工業大学研究紀要   2 ( 34 )   11 - 20   2004年3月

  • 福井県美浜町佐柿の家屋 (1)佐柿と家屋の特徴

    吉田純一,木村悠,多米淑人

    日本建築学会大会学術講演梗概集   ( F-2 )   111 - 112   2003年9月

  • 福井県美浜町佐柿の家屋 (3)家屋形態

    木村悠,吉田純一,多米淑人

    日本建築学会大会学術講演梗概集   ( F-2 )   115 - 116   2003年9月

  • 福井県美浜町佐柿の家屋 (2)家屋形態

    多米淑人,吉田純一,木村悠

    日本建築学会大会学術講演梗概集   ( F-2 )   113 - 114   2003年9月

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書籍等出版物

  • 旧京藤甚五郎家住宅調査報告書

    大場修,福井宇洋,多米淑人,稲吉昭彦( 担当: 分担執筆 ,  範囲: 第3章第2節(3)(4),図面4・7・24~31・34)

    南越前町教育委員会  2023年3月 

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    本報告書は、旧京藤甚五郎家住宅における詳細な建築調査及び史料調査等をおこなうことで、旧京藤甚五郎家住宅の歴史的建造物の価値を明らかにすることを目的とする。

  • 小浜放生祭総合調査報告書

    長谷川嘉和,坂東敏博,吉田純一,多米淑人,他19名( 担当: 単著 ,  範囲: 第6章小浜放生祭の大太鼓屋台・神楽屋台・山車の形式第1節大太鼓屋台について・第2節神楽屋台について・第3節各区の山車の建築形式・形態と特徴)

    小浜市教育委員会  2020年3月 

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    小浜放生祭の大太鼓屋台は、住吉区、鈴鹿区、広峰区、大宮区、大原区の五区が一台ずつ、計五台みられる。
    小浜放生祭の神楽屋台は、本屋台、先屋台(区によって呼び名が異なる)で、一対となっていて、鹿島区、白鬚区、白鳥区、神田区、津島区の五区が所持している。小浜放生祭の山車は、清滝区(大津町山)、生玉区(蛭子山)、酒井区(布袋山)、今宮区(今宮山)、塩竈区(高砂山)、竜田区(大臣山)、貴船区(貴船山)、浅間区(浅間山)、飛鳥区(飛鳥山)の九区に一基ずつ、計九基みられる。

  • 姫路城の「真実」

    稲葉信子,萩原さちこ,中元孝迪,志賀咲穂,安枝英俊,永野康行,多米淑人,朝日美砂子,荒木かおり,工藤茂博,森恒裕,小林正治,久保美智代( 担当: 共著 ,  範囲: 三の丸御本城の復元:pp136-149)

    神戸新聞総合出版センター  2019年8月 

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    御本城は、姫路城三の丸に置かれた御殿で、元和4年(1618)に第一次本多家の本多忠政が拡張したと伝えられるものである。三の丸にあったこれら御殿群は全く残っていないが、現存する絵図や史料、御殿建築の修理工事報告書、『匠明五巻考』(以下、『匠明』とする)などから復元を試み、史料が乏しい中、現時点での復元案を示すことができ、一定の成果を得られたと考えている。

  • 丸岡城総合調査報告書

    吉田純一,仁科章,松岡義則,渡邉晶,多米淑人,木林長仁,中井均,久保智康,吉澤康暢,中尾七重,光谷拓実,坂本稔,箱﨑真隆,門叶冬樹,堤徹也( 担当: 単著 ,  範囲: 第2章第1節-(2)-(4):根太・床板・垂木・隅木の新旧材:pp46-53,第2章第2節(5)-①-2:5つの旧懸魚:pp106-108)

    坂井市教育委員会  2019年3月 

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    現丸岡城天守の昭和期の部材は、根太が169/222本(76.1%)、床板が404/450枚(89.8%)、垂木が243/253本(95.7%)、隅木が11/16本(68.8%)、築城当初あるいは江戸期の修理材である古材は、根太が25/222本(11.3%)、床板が39/450枚(8.7%)、垂木が5/253本(95.7%)、隅木が1/16本(6.3%)で、圧倒的に昭和期の材が多くを占めることが明らかにすることができた。
    また、国宝化推進室に残る5つの旧懸魚の様相についても明らかにした。

  • 越前海岸の水仙畑 文化的景観保存調査報告書

    丸山宏,土井元章,門井直哉,金田久璋,吉岡俊人,多米淑人( 担当: 共著 ,  範囲: Ⅲ章1-4)住居と集落:pp100-116,Ⅲ章2-4)住居と集落:pp1514-169,Ⅲ章3-4)住居と集落:pp199-211)

    福井県 福井市 越前町 南越前町  2019年3月 

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    福井県福井市、越前市、南越前町、一市二町の海岸沿いにみられる水仙畑の景観は非常に良好である。この水仙栽培を生業とする集落および家屋の調査を行ない、報告している。

  • 今庄宿-伝統的建造物群保存対策調査報告-

    大場修,松田法子,福井宇洋,多米淑人,青柳憲昌,髙嶋猛,坪田叡伴,島田敏男,南竹麿( 担当: 共著 ,  範囲: 第6章3節:畠山酒造(畠山家):pp76-83,6節:白駒酒造(京藤家):pp94-102,8節:堀口酒造(堀口家):pp106-112,15節:北善酒造(北村家):pp127-136,第10章2節:塀・門:pp251-252)

    福井県南越前町観光まちづくり課  2019年3月 

     詳細を見る

    福井県南越前町にある旧今庄宿は北陸街道の宿場町として栄え、現在も旧来の面影が残る。この旧今庄宿には4つの造り酒屋があり、これらの建築形式について明らかにした。

  • 吉川地区史

    青木豊昭,小谷正典,吉田純一,多米淑人,他( 担当: 共著 ,  範囲: 資料編 第四章:吉川地区の寺社建築:pp482-496)

    吉川地区史編纂委員会  2018年3月 

     詳細を見る

    鯖江市吉川地区は「自分たちの住む吉川地区のことを知りたい」との住民の方々の熱い想いをもとに発刊したもので、多米は吉川地区にある寺院および神社の建築史的観点から解説をしている。

  • 世界文化遺産姫路城公式ガイドツール整備活用事業報告書

    志賀咲穂,朝日美砂子,永野康行,安枝英俊,多米淑人,荒木かおり,他( 担当: 共著 ,  範囲: 3-2(3)御居城表屋敷群の3次元モデル作成:pp44-66)

    姫路城歴史文化遺産活用事業実行委員会 姫路城ガイドツール企画委員会  2018年3月 

     詳細を見る

    本研究は、姫路城三の丸城御居城(以下、御居城とする。)の復元を試みるものである。御居城は、姫路城三の丸に置かれた御殿で、元和4年(1618)に第一次本多家の本多忠政が拡張したと伝えられるものである。三の丸にあったこれら御殿群は全く残っていないが、後述する絵図や史料、御殿建築の修理工事報告書、『匠明五巻考』(以下、『匠明』とする)などから、本稿では特に御居城の中でも鶴ノ間(上の間)から玄関までの復元を試みる。表屋敷群のその他建物は建築監修として携わっている。史料が乏しい中、現時点での復元案を示すことができ、一定の成果を得られたと考えている。

  • 世界文化遺産姫路城公式ガイドツール整備調査研究事業報告書

    志賀咲穂,中元孝迪,加戸啓太,永野康行,安枝英俊,多米淑人朝日美砂子,荒木かおり,内平隆之,中桐斉之,( 担当: 共著 ,  範囲: 3-3-3 姫路城三の丸御居城鶴ノ間の復元考察:pp69-79)

    近世遺産活用事業実行委員会 姫路城ガイドツール企画委員会  2017年3月 

     詳細を見る

    本研究は、姫路城三の丸城御居城(以下、御居城とする。)の復元を試みるものである。御居城は、姫路城三の丸に置かれた御殿で、元和4年(1618)に第一次本多家の本多忠政が拡張したと伝えられるものである。三の丸にあったこれら御殿群は全く残っていないが、後述する絵図や史料、御殿建築の修理工事報告書、『匠明五巻考』(以下、『匠明』とする)などから、本稿では特に御居城の中でも最も重要な室であった鶴ノ間(上の間)の復元を試みる。鶴ノ間のみならず、御居城の建物全般的に高さ関係や内部意匠の史料が乏しい。しかし、『匠明』に重きを置きつつ『二条城修理工事報告書 第二集』や「名古屋城昭和実測図」を参考にし、寸法を算出することによって、現時点での復元案を示すことができ、一定の成果を得られたと考えている。

  • 木の芽峠の御茶屋前川家住宅の建築調査報告書

    吉田純一,多米淑人( 担当: 共著)

    前川家  2016年9月 

  • 北陸信越地方の歴史的建造物

    吉田純一,多米淑人,市川秀和,国京克巳,山崎幹泰,村田一也,黒野弘靖,平山育男,木村勉,梅干野成央( 担当: 共著 ,  範囲: 第1章 福井県:1-1.福井県の文化財指定建造物:pp3-8)

    日本建築学会北陸支部歴史意匠部会  2014年3月 

     詳細を見る

    福井県内の文化財に指定されている建造物について、各市町村の例数について述べ、特に近年新たに指定されて事例については図面および写真も附して解説している。

  • 『勝山左義長』解説資料集

    吉田純一,多米淑人 他( 担当: 共著 ,  範囲: 3章2節:勝山の左義長櫓〔上袋田・下袋田・上長渕・下長渕〕:pp46-61)

    ふくい伝統文化活性化委員会  2011年3月 

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MISC

  • 若狭地方の拝所の建築的研究

    多米淑人

    北陸都市史学会誌   ( 16 )   28 - 28   2010年8月

  • 若狭地方の神社の拝所

    多米淑人

    AH !   ( 32 )   2008年7月

  • 拝所の建築的特徴

    多米淑人

    広報みはま   ( 415 )   24 - 24   2005年7月

受賞

  • ディスカバー農山漁村の宝 第7回優良事例選定

    2020年11月   農林水産省  

    小原ECOプロジェクト

  • 北陸建築文化賞(業績)

    2019年7月   日本建築学会北陸支部  

    吉田純一,多米淑人,國吉一寶,杉吉政巳,東洋建築匠

  • 平成29年度福井元気ふるさとづくり活動賞 最優秀賞

    2017年10月   あすの福井県を創る協会  

    小原ECOプロジェクト

  • 第七回地域再生大賞 東海・北陸ブロック賞

    2017年2月   地方新聞45社と共同通信社  

    小原ECOプロジェクト

  • 平成27年度ふるさとづくり大賞 内閣総理大臣賞

    2016年3月   総務省  

    小原ECOプロジェクト

  • ふくい人の力大賞

    2011年9月   社団法人 福井青年会議所  

    多米淑人

  • 日本建築学会北陸支部若手プレゼンテーション賞

    2003年8月   日本建築学会北陸支部  

    多米淑人

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その他研究活動

  • ふくいヘリテージ協議会 顧問

    2014年10月
    -
    現在

 

担当経験のある授業科目

  • 伝統木造建築計画特論

    機関名:福井工業大学

  • CAD製図

    機関名:福井工業大学

  • コンピュタリテラシー

    機関名:福井工業大学

  • 建築学実習

    機関名:福井工業大学

  • 実務CAD

    機関名:福井工業大学

  • 卒業研究

    機関名:福井工業大学

  • 建築土木ゼミナール

    機関名:福井工業大学

  • 製図法

    機関名:福井工業大学

  • 建築土木概論

    機関名:福井工業大学

  • 実践工学演習基礎 Ⅰ Ⅱ

    機関名:福井工業大学

  • 課題研究

    機関名:福井工業大学

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教育活動に関する受賞

  • 平成29年度福井県元気なふるさとづくり活動賞 最優秀賞

    2017年10月   一般社団法人 あすの福井県を創る協会  

    受賞者:小原ECOプロジェクト

  • 第七回 地域再生大賞 東海・北陸ブロック賞

    2017年2月   地域再生大賞実行委員会  

    受賞者:小原ECOプロジェクト

  • ふるさとづくり大賞 内閣総理大臣賞

    2016年3月   総務省  

    受賞者:小原ECOプロジェクト